鋼にツッコミ入れてみよう第一弾。

さて、ここいらでちょっとこういうものをはじめてみようと思います。
もちろん不定期ですが。


どんなものでも自分の思い通りに形を変えることが出来る業、錬金術
その原則は「等価交換」のもと成り立っている。
詳しく言えば、質量保存の法則と自然摂理の法則。
ただ・・・これだけではあの錬金術を説明するには足りなさすぎる。
そう、皆さんもこれらに隠れて根本的な部分を曖昧にしてはいないだろうか。
なぜ土やら金属やら物質やら・・・動くのか。
ちょっとこの場合別の要素も現れてくる。慣性の法則、運動の法則などだ。
そもそも錬金術は練成陣というものを使い、その場に物質を構築するもののはずだ。一部の「真理」を見たものは、手を合わせることで練成の輪を作り、練成陣を書かずとも錬金術が使えるようになっている。が、国家錬金術師の言い逃れをするためなどどこかでこの理論が崩れたのか練成陣から非常に離れたところまでこの効力が届いている。しかもピンポイントで。
なぜ土に書いた練成陣で水を凍らせることが出来るのか。ちょっとこれは無視できるものではないだろう。なぜなら錬金術の過程にあるように「物質の成分の理解」「破壊」「再構築」という作業が不可欠なのだ。確かにどこにでも水はあるが、これでは地上も凍ってしまう。あのアニメはこの過程を簡単にぶち壊して見せた。ちょっとこれは許せない。
さて、話が脱線してしまったようだが、運動の話に戻るとしよう。
練成の光だって枠から離れることもあるだろうと強引に仮定したとして、この問題に向き合ってみるが、やはりそれでも不可解な点は変わらない。物質が動くためには何かしらの力を与えないと動くことはない。静止している物質は静止を続け、運動している物質は等速直線運動を続ける。しかしこの錬金術は、物質があるところなら問答無用の如く錬金術で強引に動かしているように見える。これは錬金術の働きの中で地中などのエネルギーを呼び起こしていると考えるのが妥当であろう。
しかし、どうやらあの光によって錬金術が可能となっているように見える。強いて言えば、あの光はエネルギーで、それを自らの身体から物質中に送り込んでいることになる。だとすると、錬金術を一度使用するだけで一気に腹が減り、3度も使おうものなら空腹で動けなくなるであろう。
なんせ、練成中の物質全てを自力で持ち上げてるようなものだから・・・。

続く。