今日が何の日か知っているだろうか。
日本人ならば忘れてはならない、あの広島原爆投下の日だ。
今日はどこもかしこもこの話ばかりで、正直飽きてきている人も居るだろう。
だが、
60年前の今日の今を想像してほしい。
原爆の熱戦や爆風で何もかもが崩れ、焼け、そして黒い雨に打たれていたのだ。
今の日本で、これ以上に「地獄」を目の当たりにしたような人は居ないだろう。
そして、今もなおこの後遺症で苦しんでいる人たちは迫害にすら遭っているということを考えてほしい。
原爆の凄惨さは語ることなどできないだろう。
あの時を知る人々は、自分の心の底に押し込まざるを得ないような事を目の当たりにしているのだ。
地震で焼け野原になっていく都市でもまだ軽いものだと思っていただきたい。


私たちは知らない。
だが、知らないでは済まされない。
確かに、戦争を引き起こした張本人たちは悪い。
しかし、それに加担していた一般人が悪くないとは言い切れない。
ただ、「加担しない」ということが実際にできなかったということもある。
厭な話だ。
そんな理不尽で耐え難い罪を、我々若者は背負っているのだ。
戦争に良いも悪いも存在しない。
国が総出でやらかした喧嘩。ただそれだけのことだ。
そのことを、今の世の中は忘れてきているのではないのだろうか。「過ちは繰り返さない」ということを、この60年で忘れてきているのではないのだろうか。
ただ奪うしかできない行為に、何を求める?
近年のハイテク戦争で、いったい何を見てきた?
人の言いなりな犬に堕ちて、プライドを守るつもりはないのか?


何千万もの戦没者。その一人一人の家族・友人・仲間にとって、戦いなど憎しみでしかない。
日本人が無益な殺生をしていないか?アメリカ人が大量虐殺をしていないか?
一般人は何もしていないのか?戦争の本当の意義なんてものがあったのか?
そんなわけがない。戦争というのは常に殺し、殺されるものだ。
そして、その殺害は新たな憎しみを呼ぶ。堂々巡りだ。
だが、私は話し合いのみですべての問題が解決できるなどとは思わない。そんなものは詭弁だ。
話し合いで決着がつかないから暴力をする。その果てが、この穢れた末路だということだ。


争いは無くならない。我々生き物が存在する限り。
弱肉強食、という言葉がある。それは自然の摂理だ。
だが、倒した敵を食らうようなことは今の世ではない。
そこに腐り果てるまで無責任に放置するのが今の世だ。
ならばせめて、無差別な大量殺戮は絶対にするべきではない。
ただ悲しみ、憎しみを生むだけの行為は愚の骨頂だ。
殺すのはいいことじゃないのだから・・・


この悲惨な歴史を、忘れてすごしてもいい。
いつもこんなことが頭にあれば、日常は楽しくなどない。
だから、せめて
8/6
8/9
8/15
この日くらいは、心を開いてしっかりと認識してほしい。
それが、日本人としての償いになるのだから・・・


原爆投下時刻を寝過ごしてなんて台無しなこと言えない('A`)